私の考え方 1

私の考え方
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  初投稿です。今後ブログを書いていくうえで、文章展開の基礎となる

思想

について書いていきます

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  1. 完全責任主義
  2. 同一性と非同一性との同一性
  3. 他者の物体視

 

[100記事記念] 私の考え方1~3改訂版ー100記事書くとどこまで上達するのかー
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この記事はフォントなどがめちゃくちゃなので、こちらの改訂版をご覧ください

 

1.完全責任主義とは?

 この考えは「リバタリアニズム(完全自由主義)」を別視点からとらえたものです。ちなみに「リベラリズム(自由主義)」との違いは、

弱者に優しい福祉社会を作る考え方がリベラリズムであり、弱肉強食の自由競争を推進する考え方がリバタリアニズムである

https://diamond.jp/articles/-/207986

 完全責任主義の詳細です。まず、根本にあるのが「今日の弱者と強者の平等は実現不可能ではないか?」というものです。出身や性別といった原則変更不能な先天的差と、学歴や知識といった後天的差が不公平を作り出します。

 後天的差は遺伝や環境的要因も考えられますが、本当に手に入れたい力があるならば死ぬ思いをして努力すれば良いだけの話です。よくこの考えを否定する人がいますが自分の努力不足を正当化しようとしているように思えます。

 先天的差は、いまさら何をしようと変えられません。もちろん戸籍変更や性転換は可能ですが本質的には変わりません。

 現実社会では、累進課税による所得の再分配や生活保護、法律の制定など不公平を是正するために弱者への「権利」を保障しています。しかし、まだまだ不公平ですし非難する人もいます。私が「平等は不可能」と考える根拠はここにあります。

「権利」ばかり主張して「私は~するぞ!」と言わない

 つまり、自由意志による行動の欠如です。「レールに乗った人生」と揶揄されるように、私たちは自由は与えられるものだととらえてしまいます。言い換えれば、自由を選択することによる責任を逃れているのです。「会社のせい」「社会のせい」「政府のせい」自分の選択に責任を持たず、自分の選択の責任を外部に押し付けるのです。

人間は自由の刑に処されている。byジャン=ポール・サルトル

 このように、我々は責任逃れをしています。しかし、回りまわって自分に責任が回ってきます。(リストラなど)それならば、最初から「すべてのことは自分の責任と考えればよい!」のではないでしょうか。

障がいがあろうと、頭が悪かろうとそんなことどうだって良いんです。自分の行動は自分で決め、自分で責任をもって生きていく。のけ者にされたり、貧乏になるのは全て自分のせいで、現状維持も変化を起こすのも全て自分が行う。

                         それが

完全責任主義

                         なのです

 

私の考え方2で同一性と非同一性との同一性について書いていきます!

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