相模原事件が投げかける、”生きている価値”

社会問題
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こんにちは! りょーま執筆第二弾です

第一弾も読んでくれた方、ありがとうございます!

今回の内容はずっとどこかで発信したかったもので、「伝わるかな」と思いながら書いてみました笑

きっと ”正解” なんて都合のいいものは無いにしても、”問い続ける” ことを止めてはいけないと思います。

今から投げる ”問い” に向きあって考え続けることが出来る社会であってほしいと願います。

相模原障害者施設殺傷事件について

ソース画像を表示まずは今回の肝となる ”相模原障害者施設殺傷事件” について

知っている方も多いと思うので概略のみ書きます。(詳しく知りたい方はリンクをクリック)

2016年に神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」にて発生した大量殺人事件。元施設職員の男性Uが入所者19人を刺殺、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた

この事件は、第二次世界大戦後の日本で発生した殺害事件では殺害人数が最大で、戦後最悪の大量殺人事件である。

事件の背景にあるもの

では、なぜこれほど凄惨な事件を加害者Uは起こしたのか。

Uは事件後、

  障害者は生きている意味がない

  障害者は不幸を生み出すだけ

自分は『お金と時間』こそが幸せだと考える。重度・重複障害者を育てることは莫大なお金と時間を失うことにつながる

といった発言を繰り返しています。

彼が、この事件を通して社会に問いかけたのは「重度障害者を、なぜ生かさなくてはいけないのか」というものでしょう。彼は、ここで生かす必要がないと考えた。

それは ”優生思想” と類似しています。

生産性という観点に優劣を持ち込み、劣っているものを排除する

生きている価値がないと判断されたものは抹殺する

という思考が根幹には存在しているのではないでしょうか。

 

社会に潜む ”優生思想”

この事件を起こしたUは、死刑が確定しています。皆さんはこの判決に対して、どう感じますか?

「妥当なものだ」 「これだけの殺人をしたのだから死刑になって当然だ」

こう思う人もたくさんいるでしょう。

しかし、自分はこれを聞いたときに大きな違和感を覚えました。

それは、先ほど書いた ”生きている価値がないと判断されたものは抹殺する” という思考と通ずるものがあるのではないかと思ったからです。

”生きている価値がない” と考え障害者を抹殺したUが、国家によって ”生きている価値がない” と判断され抹殺されるのです。

死刑の是非については、今回は置いといて、死刑という制度の裏には ”生きる価値がない” と判断されたものは生きる意味がない、抹殺するという考えが存在しているのではないでしょうか。

これは、Uの思考と何が違うのでしょうか。結局、同じことを繰り返しているだけなのではないか。

この裁判を通して、結局日本は、社会は、Uの考えを否定しきることが出来ていません。この事件を加害者Uの死刑で終わらせるのは何の解決にもならないのではないでしょうか。

そもそも ”生きている価値” ってなんなの?

ここまで ”生きている価値” ということを扱っていましたが、そもそも ”生きている価値”って何なんでしょう。

自分は、自分の生きている価値が分かりません。きっと皆さんも分からないですよね。

「自分は、なぜ生きているのか」 「自分の社会的価値は何なのか」

そんなの聞かれても分からないし、思いついたとしてもそれを証明することなんて出来ませんよね。

分からないし、証明できないから自分には生きている意味はないのか。そんなことは決して無いでしょう。

ですが今回の事件において、障害を持つ方はこれが証明できないと社会から抹殺されてしまうのです。

この証明を、障害を持つ方のみに要求してしまっていること、これこそが問題なのではないでしょうか。

まとめ

今回は、”優生思想” と ”生きている価値” に触れてきました。

優生思想によって引き起こされた大量殺人は、この事件だけでなく、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)や精神障害者を虐殺した安楽死計画(T4作戦)など歴史上にも多く存在します。(これについても記事を書きたい。。。)

自分の ”生きている価値” すら判断することが出来ない我々がどうして他人の ”生きている価値” を判断できるのでしょうか。

きっとこの ”問い” は他人事ではありません。

出生前診断の受けやすくなった現代において、皆さんは子供に障害があると分かった時どうしますか?どうして、親・他人によって子供の生きる価値が判断されなければならないのでしょうか。

これらの事件が投げかけている、

”生きている価値がない人は生きる意味がないのか”

”障害を持つ人の生きていく価値を、なぜ他人に判断されなければならないのか”

という ”問い” にこそ我々は向き合っていかなければならないでしょう。

障害を抱える東京大学4年 愼允翼さんは取材でこの事件についてこう言っています。https://hbol.jp/198795

 

優生思想といった論理破綻したマクロなものに囚われるのではなく、個々の思想の背景に目を向けなければならない。これをしないと、また同じ事件が起きる。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました!!!

次回は、「オアシス」という映画から感じたことを書いていきます。

 

 

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