エレファントマンから障がい者の権利を考える

映画感想
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OWAが書いていきます。

一緒にブログを書いてくれているりょーまの記事同じ”人間”であるということが多くの人に見てもらえていたので・・・

便乗します!

同じ ”人間” であるということ
映画「エレファントマン」から「人間」について考えます。障がい者の生きる意味って何でしょうか。 青い芝の会・・・私たち(障害者)に社会の一部を分けてください・・・

自分は、新潟大学創生学部に通っています。これといった専門がある学部ではない「リベラルアーツ的」なところです。
私自身は哲学が好きなので、そういった方面から「同じ”人間”であるということ」をとらえていきます!

目標

今回の記事の目標は、「二つ意味」で人間を捉えるです

同じ ”人間” であるということ
映画「エレファントマン」から「人間」について考えます。障がい者の生きる意味って何でしょうか。 青い芝の会・・・私たち(障害者)に社会の一部を分けてください・・・

エレファントマンの話から

エレファントマンは、奇形で生まれたジョゼフ・メリックさんの話です。りょーまの記事でこんな言葉が出てきました。

僕は象でも動物でもない。これでも人間なんだ!

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この言葉から”人間”であることを深めていきましょう。

 

 

トルストイは人生論第九章「人間における真の生命の誕生」においてこう述べています。

真の生命の発現とは、動物的な個我が人間をおのれの幸福の方に引き寄せ・・・

動物的個我とは、寝る・食べる・話すといった「目に見える」事柄です。つまりこの個我が引き寄せる幸福とは、おいしいものを食べる・安眠する・会話が弾むといったことです。

エレファントマンの場合、動物的個我は「普通の人間(見た目が一般的な形)と同じように生きる」ことが幸福ととらえています。

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この幸福が達成できたから、初めて仰向けになって寝た結果亡くなってしまっても幸せそうな表情だったんだよね、きっと

 

 

青い芝の会の話から

青い芝の会は、1957年に結成された脳性麻痺者による運動団体で彼らの運動の中で、「障害者も人間である」というフレーズが頻繁に出てきます。実はここで言う ”人間” が持つ意味合いは少しずつ運動の中で変遷していきました。

青い芝の会の話を読むと、エレファントマンとはテイストの違う「人間」が扱われているのが分かるでしょうか。

トルストイはこちらについても述べています。

真の生命の発現とは、動物的な個我が人間をおのれの幸福の方に引き寄せ、一方、理性的な意識は個人的な幸福の不可能さを示して、何か別の幸福を指示するという事にある。

 理性的個我は、動物的個我と違い

「時間の中で見られないし、循環も見られない、いわば自分の中で起こるもの」

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高山久子(青い芝の会創立メンバー)のいう社会の一部=理性的個我っていう事になるよ

 

 

こう表現して良いかわからないけど・・・

 エレファントマンで、動物的個我による幸福が達成できた代わりに亡くなった点から・・・

障がい者は見た目による差を埋めるのは難しい

といえます。実生活でも、バリアフリーなどの設備がありますがどうあがいたって完全に一致させることは不可能です。

では理性的個我の指示する幸福、「権利」と言い換えればわかりやすいでしょうか。こちらはどうでしょうか。

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権利は障がいの有無にかかわらず手にすることは可能

まとめ

「生物と理性」の個我の差による幸福について書いてきました。

さぁ、皆さんは二つの意味で人間だといえるでしょうか。考えてみてください。

真の平等な社会とは、見た目によっての差はあるのは仕方がない(埋める努力は必要)ですが、権利に差があってはいけません。

こう思いながら、自分の周りを見回してください。

To see the world,
things dangerous to come to,
to see behind walls,
to draw closer,
to find each other
and to feel.
That is the purpose of life.
世界を見ること、
危険なものを見ること、
壁の向こうを見ること、
近くに引き寄せること、
お互いを知ること、
感じること、
それが人生の目的だ。

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