私の考え方2

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  1. 完全責任主義
  2. 同一性と非同一性との同一性
  3. 他者の物体視
[100記事記念] 私の考え方1~3改訂版ー100記事書くとどこまで上達するのかー
HTML,CSS,JavaScriptなどを全く知らない状態で始め、ついに100記事になりました。コロナウィルスの影響でアフィリエイト申請はできていませんが・・・ 記事のデザインなどどれほど変化しているか比較!

こちらの記事はフォントなどがごちゃごちゃなので改訂版をご覧ください。

 

 今回は、「同一性と非同一性との同一性」についてです。これは、ヘーゲルの「弁証法」と深い関係がある言葉です。

 ヘーゲルの弁証法とは

自分の考え(同一性)と他者の考え(非同一性)をともに否定し同一性を見出していくものです。

なぜ、否定するのか?

 否定する理由は、「ある肯定条件を成り立たせるには、他の条件が否定される」からです。つまり、「私は大学生だ」という条件が成り立つには、「私は高校生だ」「私は社会人だ」「私は小学生だ」といった条件が否定されるということです。こうして、一見して相反する考えの中に同一性を見出し意見を高めていくのです。

つまり、どういうことか?

 矛盾が存在することの容認です。ともに成り立たないことも、否定をしてみると、解決策が見えてくるのです。

この考えをもとに完全自由主義による問題の解決につながるのではないでしょうか?

 ここでは、私の考え方1で出した「不平等」について考えてみましょう。

「完全責任主義」は一人一人が各自で行うものである一方で、弁証法は「対話」で解決に至ります。

  不平等のなかで最も代表的な「貧困」の解決策とは何か。貧困肯定派は、「実力に応じて貰える金額は変わるものだ」「資本主義経済において貧困層が生まれるのはしょうがない」 貧困否定派は「人間は平等に生きる必要がある」「貧困は連鎖し、抜け出すことができない」といったところでしょうか。(思いついたらどんどん加えていきます。)

 ①「実力に応じて貰える金額が変わる」の否定は、「実力以外で貰える金額が変わるのはおかしい」

 ②「資本主義経済において貧困層が生まれるのはしょうがない」の否定は「資本主義経済以外において貧困層が生まれるのはおかしい。」

 ③「人間は平等に生きる必要がある」の否定は「人間以外は平等でなくてもよい」

 ④「貧困は連鎖し、抜け出すことはできない」の否定は、「貧困でなかったら抜け出せる」

②④からは発展できませんでしたが、

①④からわかるのが、「お金の尊重」です。地位はお金になり、お金は地位を向上させる。

 では、「地位」とは何か。実力や運、家柄も含まれてきます。もっと言えば、地位は何によって維持できるのか。地位の獲得は想像しやすいですが、維持は難しいです。獲得時以上に何かが必要となっていく気がします。

ここで、第二の弁証法として地位の獲得と維持という二つの対立項が誕生し、引き続き止揚をしていくことになるのです。

 

ここから、少し話はそれますが・・・

③の否定「人間以外は平等でなくてもよい」これは、戦争などの対立が起こった時に登場します。敵を「鬼畜」と言ってみたり、虐殺を行ってきた過去があります。「人権侵害」と総称されますが、この否定は「自国民の人権尊重」です。実際、ナチスはアーリア人を尊重し他民族を劣等とみなしました。(ヒトラーは著書「我が闘争」において当時同盟国であった日本人のことも劣等とみなしています)※実際にしっかり読んだことはないので今後読んだのちにBLOGに書きます!

ただ一方の意見を否定するのは危険です!!

次回、私の考え方3において他者の物体視について書いていきます!

コメント

  1. 学生K より:

    「私の考え方1~3」ざっと読ませていただきました。全体的に論旨が確固としていて読みごたえがあって面白かったです。あなたがブログに字数制限があって自分の言わんとすることが言いきれなかったり、逆に私のあなたの思想に対する理解不足もあったりするかもしれませんが、議論のタネになりそうなことを少し書かせていただきます。主に2点ですね。まず1点目は完全責任主義についてです。非常にも威力的で魅力的な主義ですが、些か合理的すぎかなと感じました(私にはできない!)。この世の中不条理なこともあるし、完璧な人間は存在しない上に「責任転嫁主義」なんて人もいると思うからそういう物事にはどう対応しているのかなというところは気になります。次に2点目は弁証法についてです。③の否定で「人間以外は平等でなくてもいい」という文を挙げていらっしゃったが、この文は「人間ファースト」つまり「人間が幸福に生きることができればいい」→科学技術の発展による地球環境問題という流れにつなぐこともできますよね。あなたの解釈では人種的視点からの「人間」という連想に対して、私は生物的視点からの「人間」という連想をと行っています。このように視点(言葉の認識)の違いから解釈の違いが生じるっていうのは当然のことながらも非常に面白いです。創生学部ではいろんな考え方を聞いたり、自分の思想や理想などをアウトプットする機会に恵まれているので、是非どうぞ。眠くなってきたので筆をおきます。またの機会に。

    • 5ujvyk36 より:

      コメントありがとうございます!これほどしっかりと読んでくださったことは非常に嬉しいです! 
       まず、前者の指摘に返答します。ズバリ、合理的で実現は難しいです。しかし、だからこそ書きました。完璧な人間はいないし、責任転嫁する人は多くいます。しかし、人のことなんてどうでも良いと思いませんか?
       私達は、何かするとき必ず責任が伴います。その代わりリターンも大きくなる訳です。この考えはあくまで自分に対して向く考えであって、他者に強制するものでは有りません(BLOG中では強調していませんが…)自分だけ良ければ良いとは言いませんが、他人のことは無視するぐらいで無いと飛び抜けた人にはなれないです。そんな人にむけてこの絵空事を書きました!
       次に後者です。生物的視点から見れば仰るとおりで、反論の余地なしです。人間の幸福=周りに悪影響という考えのみしか無かった点は反省すべき点であり、良い指摘ありがとうございます!

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