なぜマスメディアはマスゴミと呼ばれるのか~鷲は舞い降りたを読め~

社会問題
この記事は約4分で読めます。

個人がメディアになれるようになった今現在。それにより、既存のメディア(新聞、テレビなど)が批判されるようになってきています。

という事で、今回はその理由について書いていきます!

そもそもマスメディアとは?

マスメディアは特定少数の送り手が、何らかの情報を不特定多数の受け手に向けて伝達する際に用いられる。
典型的なイメージはテレビ、新聞、雑誌、ラジオ、などいわゆる報道に関わる諸機関だが、その他に、映画、音楽、出版業界をここに含めることが多い。
なお、これら個々の項目は、一般的に馴染みが深く、多用されている用語だが、実際には明快な細分類にはなっていない。テレビは映画や音楽を部分的に含み、ラジオも音楽と重なる部分がある。
本、レコード、コンパクトディスク、映画館など、他にも様々な物や施設をここに含めることができる。
マスメディアはしばしば情報の独占、表現の手段の独占、ツリー構造、ヒエラルキー構造などと結びつけて考えられ、否定的な評価を受けることも多い。

https://ja.wikipedia.org/wiki/メディア_(媒体)

そのうえマスメディアは「権力の監視機能」の役割もあります。

OWABLOG
OWABLOG

司法・行政・立法に続く、第四の権力なのだとも

司法、行政、立法は互いに監視しあっている(三権分立)のは有名な話ですが、マスメディアは監視がないんです!

これがマスゴミと呼ばれる理由だと思います

マスゴミと呼ばれる理由

なぜ、監視がないとマスゴミになるのでしょうか?一言で表すならば、中庸にならないからです。

1 かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。「中庸を得た意見」「中庸な(の)精神」
2 アリストテレスの倫理学で、徳の中心になる概念。過大と過小の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとした。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/中庸/

公平公正に物事を見ていない・ネガティブな情報ばかり、これが批判の大枠です。

公平公正に物事を見ていない

政権と癒着があるからなぁ・・・

真意はどうかわかりませんが、こういう意見をよく聞きます。こう言われるのは、マスメディアは政府にとって都合の悪い情報は流さないorほとんど報道しないからです。

 

最近だと、オバマゲートと呼ばれる米国最大のスキャンダルがアメリカを中心に大きく報道されています。

「オバマゲート」を報道せえへん日本のマスゴミ。「武漢・CHINAウイルス」もよう言わんしな。
 日本の新聞、テレビはぜっっったいに「武漢ウイルス」とは言いませんね。一見保守寄りと見られている産経新聞でさえもそうですね。記者ではなくて、寄稿の原稿の場合は寄稿者が「武漢」を書いても必ず「新型コロナウイルス」を併記させているように思われます。まあ国家観も独立心もなく、周りに無難に合わせることばかりを考えている、つまら...

しかし、日本では全く報道されません

OWABLOG
OWABLOG

これまでも、トランプ=クソ オバマ=最高みたいな報道ばっかだったからなぁ

ネガティブな情報ばかり

 連日のように殺人事件だとか、事故だとか、病気がどうしただとか報道しています。しかし、99%の人は目の当たりにしていません。昨日と変わらない生活です。

新型コロナウィルス拡大を%で見る
※この記事は、今後も対策を講じていくことを否定するものではありません 0.014%ってそんなに危険かな... 新型コロナウィルス(COVID-19)についてはこちらのサイトの数値を参考に考えていきます。 2020年4月4日7:52...

それなのにネガティブな情報のおかげでいらない心配ばかりしています。確かに、人が目を引く情報は総じてネガティブなので報道したくなる気持ちもわかりますが・・・

トイレットペーパー買占めなんかは良い例です。マスメディアが「SNSでトイレットペーパーがなくなると言われています」と伝えたら、翌日からSNSをほとんど使わないお年寄りの大行列です。

OWABLOG
OWABLOG

SNSが原因だと言われているけど、実際はそれを報道したマスメディアが大きな原因だった

どうすれば中庸にたどり着くのか?

 ここで考えたいのは人間(記者)は物事を客観的に見れるのか?という点です。監視がない状態で、自主的に客観性ある内容は書くのは難しいです。

思考力を持った人間なら、ある事柄に対して何らかの主観を持ち込んで考えます。

OWABLOG
OWABLOG

これはいたって普通の事!

しかし、ここまでの記事内容から考えれば完全なる客観性なしには中庸になりません。ですが世の中には中庸を極めた本が存在します。それが、ジャックヒギンズ作「鷲は舞い降りた」です。

この本は、”普通”なら残虐非道に描かれるドイツ兵を”普通”の人間として描いた作品です。もちろん、対する連合国軍側の兵士も”普通”の兵士です。こんな文章があります。

戦時中の宣伝というものは、たとえ必要ではあっても、有害なものであることに変わりはない。戦時中我々が見た写真、映画、書物、新聞のすべてが、一般のドイツ兵を非情残虐な野蛮人として描いていたが、彼らはそんな人間ではなかった。

ジャックヒギンズさんはどうやって公平に物語をかけたのでしょうか。それは、対立関係にある事(ここではドイツ軍兵士と連合国軍兵士)をどちらも敵とみなしながら味方ともみなしたからです。

私たちは、特定の内容について一方的に考えます。それを「伝えること」にも適用してしまうのが全ての元凶です。

味方にもなり、敵にもなる二項非対立の立場に立ちましょう!!!

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました