オメラスから歩み去る人々【あらすじ・全文】~功利主義か道徳か~

社会問題
この記事は約6分で読めます。
【トロッコ問題】5人と1人どちらを助けるか~暴走する路面電車~
トロッコ問題には功利主義の考えと道徳観念のせめぎあいです。「5人を助ける為に他の1人を殺してもよいか」
OWABLOG
OWABLOG

トロッコ問題に引き続き、解なき問いに挑戦!

今回紹介するのは、アーシュラ・K・ル=グウィンさん(ゲド戦記を書いた人)の作品で、星の12方位に載っている短編「オメラスから歩み去る人々」です。読者に大きな疑問を投げかけてくる作品です。

本文・あらすじ

 オメラスという国は、豊かで、平和で、文化的で、楽しく明るい、ユートピアのような国です。

このすばらしい国には、飢餓も戦争も差別も経済危機もなく、人々は親切で活気にあふれ、この世で考えうる最高に恵まれた国といえます。

しかし、実はこの国には、一つだけ、ある問題、ある欠落があります。

この国の、ある建物の地下に、一人の子供が、汚れきって鎖につながれ、放置されています。

その子は、知能があまり発達しておらず、自分の境遇がどういうものかさえ、おそらくはよく理解していません。

そして、神との契約なのか何なのかわかりませんが、実は、このオメラスの繁栄と人々の幸福は、このかわいそうな子供を、助けたりやさしくしたりせず、このまま閉じ込めて放置しておく、という絶対条件の下に、成り立っているのです。

この子を解放することはもちろん、やさしくいたわってやったり、きれいにしてやったり、あるいは抱きしめてやったりしただけで、この契約は破られます。

そしてオメラスには、地上で考えうるありとあらゆる災厄が降りかかり、この国の何十万・何百万という人々はただちに、疫病や戦争、災害や経済危機など、あらゆる不幸に苦しむことになります。

オメラスの若者たちは、十代の半ば、物事が理解できるようになった年ごろに、この事実を知らされます。
そしつ必ず一度は、このかわいそうな子を、地下室に見に来ます。

オメラスの人々はみな、思慮深く、思いやりと責任感を持っているので、この事実を知った当初は、誰もが苦しみます。

そして少なからぬ人々が、このかわいそうな子を助けたいと考えますが、そのために何百万という他の人々を不幸のどん底に引き落とすことができる人はおらず、この子は放置されたままです。

この事実を知り、それに対して自分にはどうすることもできないと理解したとき、オメラスの若者たちは、大きく変化します。

自分たちの得ているものが何を犠牲にして成り立っているか、知ってしまった彼ら/彼女たちは、それまでの子供時代のように、ただ能天気に日々を過ごすことは、もうできません。

そして、いままでより一層、いま享受している繁栄と幸福を、大切にするようになるのです。

この話には、もう少し続きがあります。

この、閉じ込められた子供のことを知らされ、この子の姿を見た後、まれに、オメラスから姿を消してしまう人々がいます。

その人々は、この子のことを知った直後、あるいは、それから何年も経ったある夜、身の回りのものだけを持って、静かに、オメラスから歩み去っていきます。

オメラスの国・オメラスの都の周りには、一面の荒野が続いていて、そこを去る人々がどこへ向かうのかはわかりません。

しかし、彼ら/彼女たちは、自分の行く先を知っているかのように、確かな足取りで、この国を去っていくのです。

https://ameblo.jp/ashitanokaze-dd/entry-10153685824.htmlより

 

この話には、功利主義と道徳のせめぎあいが存在します。

功利主義の立場なら・・・

まずは功利主義の説明からです。功利主義は「最大多数の最大幸福」を基本とする古典的功利主義を作ったジェレミ・ベンサムやJ.S.ミルが代表人物です。

ちなみに、ベンサムは量的快楽主義(快楽は量で決まる)・ミルは質的快楽主義(快楽は量では決まらない)とも言われます。

OWABLOG
OWABLOG

ベンサムの身体は標本として現存しています

功利主義は行為などの望ましさは、結果の効用によって決まるというもので多数決やパノプティコンなどに活用されています。

功利主義立場からすると、この子供を放置したままにします。

数十万、数百万人のオメラスの人々を守るには必要な犠牲と捉えます。

客観的に考えれば正しいことです。

しかし物語の続きにあるように、理屈の上では必要だと思っていても「歩み去ってしまう」のが人間です。

スポンサーリンク

道徳的に考える

自分たちのために誰かが不利益を被っている・・・そう考えると正しさの定義が崩れます。

しかし、どちらも成り立たせることはできません。

その結果「歩み去ってしまう」のです。

本文には「自分の行く先を知っているかのように、確かな足取りで・・・」と書いてあることから、人間の損得で動かない/動けないところを賞賛しているのかもしれません。

OWABLOG
OWABLOG

でも実際は逃げ出すことはできないし・・・難しい

自分ならどうするか?

もし自分がオメラスの住民だったら見て見ぬふりをします。その理由は二つです。

1つ目は功利主義の立場からです。先ほど書いたように、一人の犠牲で多くが平和であるなら素晴らしいことだと思ってしまいます。

2つ目は子供は知性が発達しておらず、自分の境遇を理解できていないからです。イデア論で用いられた「洞窟の比喩」という話を応用して説明します。

http://db.10plus1.jp/imagemanager/show/id/2913/size/320/

この子供は(A)にいる人であり、(C)という真実(オメラスのために捕らえられている)をホメロスの住人や神などの(B)により隠されている状態です。言い方は悪いですが、(P)という自分の周りの状況(地下室が全世界だと考えている)が全てだと思っているのであればそのままにしておけば何も疑問を持たないからです。

OWABLOG
OWABLOG

映画やドラマで、疑問をもって真実を知り世界を変えるor壊すというのがお決まりのパターンで存在するけど・・・

一人の人間の基本的人権を制限することに抵抗はあるけど、子どもを助けるかどうかの二択だったら、助けない方を選びます。

実社会ではどうか?

実社会ではここまで極端ではないですが、格差という形では登場します。

社会を結びなおす 要約~新潟大学創生学部レジュメ~vol.2
レポート投稿vol.2です! 今回は基礎ゼミの課題図書「社会を結びなおす」(第一章、第二章のみ)のレジュメを書いていきます。 この記事の結論は・・・ 見方によっては分断されてるけど、その他を忘れている です ...

トップ層が利益を持っていき、その他はおこぼれをあずかるといった構図です。

しかし、オメラスの例を使って批判するのはお門違いです。その理由が、トレードオフの原理が現実で成り立っているからです。※トレードオフとは、何かを手にすれば何かを手放すという原則(商品を手にすれば、お金を手放す)

オメラスの場合、子どもには何もリターンがないわけですから道徳的障害が大きくなりますが、現実では少なからず商品といった形でリターンがあるので批判材料としては不足点があります。

OWABLOG
OWABLOG

でも、オメラスの子供に豪華な部屋とかが与えられてるとしたら・・・どう判断するべきでしょうか?

 

 

 

ということで、今回は以上です!

コメント

タイトルとURLをコピーしました