芸術科目のレポートを晒す~芸術とは何か~

創生学部
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課題の季節なので・・・載せちゃおう!

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文脈や展開の未熟さは大目に見てください・・・

贋作の価値

あなたの好きな18世紀の画家の絵の中でも特に気に入っていた、これまで批評家もその画家の代表作だとしてきた絵が、巧妙な贋物であり贋作画家によって最近作られたものであることが判明したとします。あなたにとってその絵はまだ価値を持っていますか?あなたのその絵に対する評価は変わりますか?

お気に入りの絵が贋作だと判明した場合でもその絵は以前のような価値があり評価は変わらないどころか上がると考える。

この議題には価値の有無と評価の変化という二つの観点がある。

二つに分けるのは双方が相容れない属性を持つからだ。

価値に関してはあるなしでしか語りえず、評価はグラデーションのような変化でのみ語ることができるからだ。

そのため二つの問いに対する考えをそれぞれ示していく。

贋作の存在が価値の根拠だ

価値が変わらない理由は、逆説的であるが贋作が作られたからだ。

そもそも贋作とは本物が存在して成り立つものである。

今回の問いにある偽物の18世紀の画家の絵も本物が存在していた。

贋作が作られるという事はそれほど価値のある絵だと思われていたからである。

ここまで考えると価値には二種類あるといえる。

物質と非物質の絵

それは画板と絵具で描かれた手に取れる物質的な絵としての価値と、手に取れず共通認識や心に存在する非物質的な絵としての価値である。

私は非物質的価値を選ぶ。

理由として、作品は物質を使い表現される以上いつかは朽ち果てていくのに対し、物質としての絵の中にある見えざる力は年月がたつごとに巨大になり物質を超えるからである。

物質的な絵の価値を重視するのであれば、贋作画家によって描かれたなら価値はゼロに等しい。

しかし非物質的な価値を重視し、偽物であったとしても素晴らしい絵だと認識できる(気に入っていた)のであれば、オリジナルの絵のすばらしさは時を超え、物質を超えて今まで生き延びてきたといえる。その生存方法が贋作といった形であったまでの事である。

そのため、自分にとってこの絵は以前と変わらない価値を持つ。

オリジナリティの永続性が評価の根拠だ

評価が上がる理由はオリジナルのすばらしさが時を超え、物質を超えて存在し続けてきたといえるからだ。

単純に考えて、数百年前の紙切れが今日の人々を魅了する力を秘めているのは驚愕すべきことだ。そのうえ物質的には偽物だったのだ。

明らかに目に見えない力がある。

誰も贋作だと気づかなかった点はさておき、偽物でも人々を魅了し続けてきた見えざる力に敬意を表して評価を上げる。

いずれの場合も、物質的価値と非物質的価値のどちらを重視するかで真逆の結果となるのは明白だ。

私は非物質的価値を重視するため価値は変わらず、評価を上がるという結論である。

 

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物質 OR 非物質のどちらを重視するかで評価は変化!

写実絵画は芸術か?

非常に写実的な絵画が美術館に展示してあります。
最初写真だと思って近づいたあなたは、筆遣いの跡に気づき、初めてそれが絵であることを認識しました。
あなたはその絵を芸術作品だと思うでしょうか。主題や描写対象によって異なる結論になるのでしたら、そのことも説明してください。

写真を用いて対象を克明に描写する美術の潮流であるスーパーリアリズムは結果として、彼らの絵画は写真の平面性を再現し、また感情を廃したものとなる

写実作品を芸術とするか否かは、感情を排したら作者の個性=意志が消えるか否かという点にあると考える。

私は写実絵画は芸術作品として成り立つと考える。

以下に二種類の主観の存在を引き合いに出し理由の述べていく。

一つ目の主観「選択」

写実作品は描く対象を二段階で物質に落とし込む。

例えば一本の木を描く場合、写真という物質に木の影を映す。

その後に紙に木の影の影を描いていく。

この移し替えごとに作者は意志を取り入れることができるのか。

写実する観点から考えれば、選択した写真をただ映すだけなのだから意志はないと考えられるが、写真で木を撮るときに本当に無作為で撮るのは可能か

写真を選択するとしても、無意識に選択できるのか。

完全な無作為が可能であるとの反論があるのかもしれない。

だが選択する場面で意志が介在するはずだ。より美しい写真を好み、より魅力的な写真を好むのではないだろうか。この感覚は無作為に見えながら深層心理に基づく。

無作為の殻をかぶった意志が内在するはずである。

では写真を描く際に主観は完全に排除できるのか

二つ目の主観「意訳」

先ほどただ映すだけなら意志はないと述べた。しかし映す行為は紙面に翻訳すると捉えられないだろうか。

言語の翻訳と同じ原理で考えると、翻訳には直訳と意訳がある。

写実は直訳の側面が大きいと捉えられる。

だが完全なる直訳は可能なのか。

木の葉をもっとはっきり描こうか、影を強くしようか。わかりやすいよう、見やすいように拡大解釈することがあるはずだ。この解釈は作り手の主観が基礎となる。芸術の完成である

ともに無意識に発動する主観であるが、この二種類の主観の介入を考えれば大枠は写実的でも必ず個性=意志が隠れている。

かくれんぼが写実絵画に含まれる限り芸術である。

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