「責任を負うってのは大変だな~」と思ったレポートを晒す

創生学部
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最近、これは頭使うな~と感じた課題があったのでいつものごとく晒していきます!

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今回の課題は・・・

今回は、中央公論社の記事で牧原出さんの「前のめりの専門家とたじろぐ政治」・文芸春秋社の記事で広野真嗣さんの「ドキュメント 感染症「専門家会議」」を読んで、【専門家と政治】について1200文字程度で論じるという課題です。

晒していく

題名は、「自由の刑」!

サルトルは「ドイツ占領下にあったときほど、自由であったことはなかった」と言った
サルトルさんの自由の刑の話から、ブログを書き始めた理由を書いています!

新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、あくまで政府に具申する立場だった専門家があたかも政策決定や行動指針を定めている(かのように)現状を私自身がどう捉えているのか書いていく。

コロナ禍の政治家と専門家

まず、ざっと一連の流れを整理したい。

新型コロナウィルス拡大に対して、政府の対策が不十分だとする国民の怒りが高まった。

原因には、安倍首相(当時)の記者会見のパフォーマンス、官邸主導の意志決定による分裂、各省との連携不足などがあげられている。

こういった理由から次第に感染症専門家の意見が取り沙汰され始めた

OWABLOG
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専門家が表舞台に出てきたってわけ

その後彼らの意見が具申から政策決定にまで拡大していった。

この中で、異分野の専門家による発言力も大きくなってきた。

いずれにせよ、ここで出てきたのが行動(政策・対策)の成果に対する責任の所在だ。

政府としては、どんな対策を行っても批判される現状を踏まえ、確実に成果を出すべく、十分吟味したいので矢継ぎ早な対策や不用意な発言をしたくはない。

一方で、専門家たちは批判を受けてでも感染拡大を防ぎたいため政府とは逆の方向を進む傾向があった。

二つの論点がありそう・・・

この議論には二つの論点があると思う。

一つ目が政治家自身の知識。

二つ目が責任の回避だ。

配布された資料①②(「前のめりの専門家とたじろぐ政治」「ドキュメント 感染症「専門家会議」」)を通して、政治家自身の知識に特別触れている部分はないが、意思決定部分に専門家が入ってくるのは言わずもがな政治家の知識不足を意味している。

だが、勉強不足を批判したいわけではない。

ユヴァル・ノア・ハラリが著書で書いているように「国民投票や選挙は、人間の合理性にまつわるものではなく、つねに感情にまつわるもの」¹であり、国民は代表者を知識の有無で選んでいるわけではない。

不服だとすれば我々国民に原因があることになる。

そのため、専門家が意思決定機関に入り込んでくるのは問題だとは思わない。

問題は、政治家の持つ成果は欲しい(自分の立場の為)が責任は欲しくないという考えが透けていることだ。

良い所取りだけ考えていれば「たじろぐ政治」と言われても致し方ない。

この流れで二つ目の論点に移っていく。

政治家は失敗したくないが、専門家は失敗しても解決したいという齟齬がある。

資料②(「ドキュメント 感染症「専門家会議」」)にあるように、専門家は自分の行動や意見に責任を持つのを受け入れていると書かれている。

サルトルの述べた自由の刑にあるように、自由から生じた事柄は責任がつきものであり専門家たちの考えは真っ当なものである。

だが、国民に対して一定の強制力を伴う場合も個人に全責任を押し付けるべきだろうか。

私は、自由選択が可能な提案までは、発案者が全責任を負うべきだとするが、自由の権利に触れる可能性のある提案が出された場合、政府の責任のもとで行うという責任のすみ分けが必要だと考えている。

しかし、専門家には浮かび上がった問題を解決するという改善の責任があることを忘れてはならない。

1 Yuval Noah Harari (2018). 21LESSONS FOR THE 21st CENTURY. (ユヴァル・ノア・ハラリ 柴田裕之(訳)(2019).21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考) 71頁

 

 

 

 

どうだったでしょうか?

ということで今回は以上です!

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